明日を明るくするんだ! 経営者、立ち上がろう!

ベルリンの壁が解放され、マラソンレースで日本経済はジリジリと脂汗をかく状態となっている。

人々の目の動きを見ればわかる。かっての中国、現在のベトナム視察体験でひしひしと感じた。彼らは、どうやって生きるかということをベースに、寸暇を惜しんで、時代に生きる対策を自分なりに考え抜いていた。痛いほど伝わってきた。 

その姿はかっての日本にもあったように思う。今の社会ではとても考えられないことが、当時の日本では当たり前のようにあった。例えば、部下は上司からバカ呼ばわりされ、私自身も罵倒され、人間を商品(物)扱いにされる経験を何度もしたことがある。職場はそれが日常茶飯事で、当たり前であった。だからと言ってそのことを称賛しているのではない。上司には、今流の計算づくということはなかったように思う。私を超え、一人前に育ててやりたいといった気持ちが腹の底にあったように思う。そして、何とかしなければ、という生きる逞しさもあった。その根底には“日本は、自社は負けてなるか”と這い上がる逞しさ、「明日は明るい」、いや「明日を明るくするんだ」と誰もが信じて行動している姿があったように思う。社員の待遇と言えば、当時のご褒美の「給料」の上がり方は半端ではなかった。

 その下地を作られた池田首相は、国民にわかりやすい「所得倍増論というビジョン」を掲げ、国民に約束された。

 そうした環境で、営業マンとして何度か社内表彰を受けたことが思い出される。「故郷に帰ります」といって退職願いを出した時、遠くから駆けつけて下さった役員に、人生の時々に自問自答するときがある。

 時が経過して、資産を活かせれなかった平成時代、大きな忘れ物をした平成時代、リーマンも大災害の不幸な出来事も重なった。

 そんな中で、キラリと光る地域も少なくない。今日の海士町(島根県)もその一つに挙げられる。多くのハンディを克服しながら他域から人を集めている。地域の原点は何かを考えぬいた当時の首長の思いがあったのかもしれない。その根底には、何としてもこの町を「明日を明るくするんだ」という覚悟と信念があったのだろう。

 いつ安全な社会になるかわからないコロナ禍で、危機が人間に、国に、世界に襲いかかっている。

しかし、危機は、危険と機会に分解される。

 経営という職業は、機会をチャンスにする最もやりがいのある、しかも自己責任を一身に受ける職業の一つである。

 今、経営者に求められるものは、危機を機会に替える戦いである。

創業時に立ちかえろう 

代々の企業は、時々の経営者に思いを寄せよう

脈打つものを掘り当てよう

何としても「明日を明るくするんだ」という気概と覚悟をもとう

有能な経営者が挫折すれば、今度こそ、日本が溶けていく。

(ビジネスデザイン研究所 穐田誠一郎)

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